1995年1月16日月曜日。
前日までセンター試験を受けていた私は、
センターの自己採点結果から、二次試験で
どの大学を受験するかを考えていました。
「神大(神戸大学)行けたらええけど、やっぱ京府医かなぁ…
でも府立やったら外様には不利かも知れんから、国立の滋賀医か…
近くやったら大阪市立とか奈良とか、かな…」
「地元近畿から出て行くなら選択肢は広がるけど…
出て行くなら、自分暑がりやから北の方に行こうかな…
いっそ、札幌とか旭川とか」
…などと、幅広く選択肢を挙げていってました。
で、母がそれを聞いて
「北海道は群発地震あるし、奥尻もあったし、
あんま怖いとこ行かんとって欲しいわ。
近くのほうが何かあったときいいし。」
と言っていたのをよく覚えています。
その後、自己採点結果を持参し、
友人数人と一緒に大阪と神戸にある予備校巡りをしました。
センターリサーチに参加するためです。
最初、大阪の梅田近辺にある河合塾へ行き、その後、
駿台と代ゼミが固まってある神戸の三宮へ行きました。
友人K「あべちゃん、明日どないするん?」
私「明日はササヤン(高校で担任の先生だった佐々木先生)に
二次どこ受けるかの進路相談やな」
友人K「うわ、ササヤン毒舌やからきつそうやなぁ」
私「確かに、こっちの考えを前もってまとめとかんと
太刀打ちでけへんやろな(笑)」
などとしゃべくりながら、予備校巡りをしたように思います。
「ほんならなぁ~」
数日後また顔を合わせることを普通に考えながら、
皆が乗っている電車から降りました。
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