長いしあんままとまってないので、
しんどいひとは読まないだろうなぁ…
というか、読まない方がいいです(笑)。
力不足ですね。
今朝の新聞に無党派層についての分析の記事が出てました。
なんでも、俗に言う無党派層には3つのタイプがあって、
あくまで無党派を貫く「不動派」、
選挙のたびに支持政党を替える「渡り鳥派」、
政治そのものに関心を持たない「無関心派」、
に分類されるんだとか。
あべちゃんは「渡り鳥派」なんやけど、
無関心派のひとに関心を持ってもらうよう
(選挙に参加してもらうよう)がんばるのは
ほんとうに難しいなぁと思うようになってきました。
(自らの無力感すら感じます)
やっぱり私も、興味ないことをただ「やってみなよ」と
言われても、やらないでしょうから。
でも、政治の流れを決めるのは無党派層の浮動票に
よるところが大きいのも事実な訳で、
政治そのものに幼少時から多大な関心を持っていて、
震災でそのあまりのていたらくぶりに失望した自分としては、
無関心派の人たちにもなんとか投票行動をとって欲しい…
と願うわけです。
別に日本をどうするだとか、そういった大げさな問題に
思わなくていいと思うんです。
自分の生活に直接関わってくる部分も「政治の結果」
な訳ですから、そういった部分も、投票先を考える材料に
なりうると思うんです。
日本のように、政治・経済が一応安定している国では、
選挙の度ごとに、社会が大きく変化したりはしません。
というか、そんなに急に大きく変化されても困るわけで、
ある意味、急に世の中が変わらないというのは、
それだけ今の日本が安定しているということの証拠で、
それほど悪いことではないんです。
それでも、今の僕らの社会が「最高」かといえば、
全く、全然、そんなことはなくて、
変えなくてはいけないところは沢山あります。
特に、教育、福祉の二つの問題は、
大急ぎで既存の制度を改革しなくてはならない、
そういう時期にさしかかっていると思うんです。
急には変わらないかもしれないけど、
少しでも「変えて」くれそうな人を、
選ぶ必要があると思うんです。
勿論、人によって誰が最も望ましいか、
ということについて意見が違います。
だからこそ、選挙をするわけです。
「少数意見になったら、結局何も影響を及ぼせない、
選挙なんて無意味じゃないか」と言う人もいますが、
少数意見、多数意見というものが形成されるのも、
そもそも、選挙に行って「投票」という形で、
自らの意見を表明した人たちがいるからです。
誰も選挙へ行かなければ、
少数意見も多数意見も存在しません。
「国民の意見」というものが現われる機会自体が、
なくなってしまうのです。
選挙というのは、僕らが自分達の意見を
政治の場に表明する唯一のチャンスです。
そして、僕らの意見によって、本当に必要なことを
やってくれそうな人を選ぶことができる、
これまた唯一のチャンスなんです。
何も言わなければ、なんの意見も表明されません。
あまりにも、当たり前だけど。
そして、誰もが何も言わなければ、
組織票という一種の「洗脳された人々」の意見によって、
僕らの生活が勝手に決められてしまうんです。
それは恐ろしいことじゃないでしょうか。